Q&Aコーナー

Ⅰ、『イエス・キリストについて』

Q2.「2000年前のキリストと私には何の関係があるのですか?」

A2.2000年前の日本の弥生時代にどんな偉い人がいたとしても、現代の私たちとは無関係だと考えるのは自然なことです。キリストが単に過去の偉人であるならば、私たちとは実質的に無関係だということになります。ところがキリストは、単なる過去の偉人ではなく、現代に生きる私たちの罪を赦し、いのちを与えてくださる方なのです。キリストの死が、すべての時代の人の犯した罪を赦す力を持っていることは、次の二つの点で理解できます。

①神は未来もわかっていた:私たち人間には未来のことはわかりませんが、神様はすべてのことをご存知です。ですから2000年後の私たちをも知っておられ、その上でキリストを十字架にかけられたと考えることができます。神様にとっては1000年も1日のようなのですから(ペテロの手紙第二3章8節)、2000年前といってもほんの2日前のようなものです。それならば、キリストが自分のために死んでくださったと私たちも信じておかしくないのです。

②キリストは今も生きている:死んだままならば、キリストには何の力もありませんが、彼は復活し、天で私たちのためにとりなしをしていてくださるのです(ヘブル人への手紙7章24-25節)。つまり、私たちが罪を悔い改め、「どうか赦してください」と祈ると、キリストが父なる神様にとりなして、「わたしに免じて赦してやってください」と言ってくださるのです。普通、祭司は羊を犠牲にしてとりなしをしますが、キリストはご自分を犠牲にしました。これこそ十字架の死の意味なのです。キリストは今も生きておられ、あなたを守っていてくださいます。あなたが彼に自分の罪を告白するなら、あなたの罪も赦されるのです(ヨハネの手紙第一1章9節)。  

*ペテロの手紙第二3章8節「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日も千年のようであり、千年は一日のようです。」

*ヘブル人への手紙7章24-25節「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

*ヨハネの手紙第一1章9節「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方でですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」