Q&Aコーナー

Ⅰ、『神について』

Q3.「他人を踏みつける人間も神は愛するのですか?」

A3.ドラマの中の悪人は、見ていて胸が悪くなるほどひどいことをします。たいていそのために泣かされるかわいそうな人がいたりして、正常な神経の持ち主なら、ドラマとはいえ怒りを抱かずにはいられません。その時、主人公がその悪人をやっつけると、思わず拍手したくなります。そして殺された悪人に対しては

、「あんなのは殺されて当然だ」と思えてしまうのですが、そこが危険なのです。

 他人を踏みつけにして平気な人は確かに悪人です。でも、悪人はあの人たちだけでしょうか。もし悪人がみな殺されることになれば、その時あなたや私は生き残れるでしょうか。残念ながらあなたも私も神様の御前には有罪なのです。自分のしていることや、口にする 言葉を省み、心の中にあるものを静かに反省してみるなら、「私は罪人のかしらです」と告白せざるを得ないはずです。

 しかし幸いなことに、イエス・キリスト様はその罪人である私を救うためにこの世に来られたのです(テモテへの手紙第一1章15節)。私たちに対する神様の愛は、本当に不思議です。それは、あの悪人を愛するからではなく、この私をも愛してくださるからなのです。あの人も、私たちも、同じように罪人であり、同じように愛され、救いに招かれているのです。

 もちろん、社会生活とお互いの関係のために必要と感じたならば、祈りと愛と謙遜な思いを持って、罪を犯した人に忠告してあげることも大切です(ガラテヤ人への手紙6章1-5節)。しかしそれと同時に、自分自身も人からの忠告を謙虚に聞き、悔い改める心を保つべきです。主を信じて歩んでいる者には、主がそうする力を与えてくださるでしょう。  

*テモテへの手紙第一1章15節「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」

*ガラテヤ人への手紙6章1-5節「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行いををよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」