Q&Aコーナー

Ⅰ、『神について』

Q5.「『神』は人間が作り出したものではないでしょうか?」

A5.確かにこの世のほとんどすべての宗教の神は、人間が作り出したものです。それらは、人間の理想の映像であったり、恐れの対象であったりするものがほとんどです。目に見える姿、形を持つ偶像を拝む宗教はみなこれです(出エジプト記20章3-5節)。それは、目に見えない霊的なまことの創造主なる神様から離れた人間の罪の結果です(ローマ人への手紙1章20-25節)。しかし、そのような目に見える偶像を拝む宗教ばかりでなく、イデオロギーを絶対視するものも、やはり一種の宗教ということができ、彼らの神であるイデオロギーもまた、人間が作り出したものにほかなりません。さらに、人間が生きる拠り所として頼りにしているものも、偶像の神になるのです(コロサイ人への手紙3章5節、マタイの福音書6章24節)

 この世界には、そのように、多くの偽の神があります。しかし、偽物が多いということは、本物がないということにはなりません。むしろ、必ず本物が一つあるということにはならないでしょうか。しかも、偽物の数が多ければ多いほど、本物の価値は高いのです。ですから、偽物の神がたくさんあるということは、本当の神様がただ一つあるという証拠なのです。この世界には、天と地と、その中のすべてのものを造られた創造主なる、ただ一人の生けるまことの神様がおられるだけです。そのお方こそ、ご自分を私たちに示してくださったお方なのです(ヨハネの福音書1章18節)。主イエス・キリスト様において、ご自分を私たちに示してくださった神様は、人間が作り出した神なのではなく、この神様こそ私たち人間をお造りになった神様にほかなりません。この神様が、私たちを罪から救ってくださるのです。

*出エジプト記20章3-5節「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」

*ローマ人への手紙1章20-25節「 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」

*コロサイ人への手紙3章5節「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」

*マタイの福音書6章24節「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

*ヨハネの福音書1章18節「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」