Q&Aコーナー

Ⅱ、『人生について』

Q3.「なぜ自殺してはいけないのですか?」

A3.では逆に「自殺してもいいと思いますか?」と尋ねると、やはり「いけないと思う」と答えるのではないでしょうか。それはまず、良心の叫びがあるからです。家族や友人が悲しむからという理由もあります。

 親友に裏切られ、家族に愛が感じられず、むしろもめごとが多く、将来の夢や希望もない、となると、何となく自分が生きて行くのが惨めに感じられ、生まれてこないほうが良かったんだと思えたりします。その結果、実際に自殺に走る若者も多くいます。自殺をしたいと思うのは、10代の人が一番多いそうです。色々なことに真剣に悩み、傷つく時であり、それだけ真面目な証拠なのです。しかし、すぐに結論を出すことをしないで、教会やクリスチャンの知人に話してみてください。「いのちの電話」もいいでしょう。同じような悩みを分かってくれる人がいるはずです。

 一番大切なことを話しましょう。それは私たちのいのちは創造主なる神様からいただいたものだということです。私たちは神様に造られ、神様に生かされているのです。英語では「生まれる」ことを I was born と言うように、受身型なのです。私たちは、今日は何回呼吸し、心臓を何回動かそうと決められるものではありません。しかし、それらは見事に機能し、保たれています。それは、創造主の計画があるからです。いのちは自分のものではありません。神様からいただいたもの、目的をもって造られたのです。だから、誰でも人生には目的があるのです。いのちを粗末にしないで、まず神様を発見してください。創造主を発見するまでは、本当の生きがいや、人生の意味を見い出すことはできないのです。(ピリピ人への手紙1章21節、コリント人への手紙5章15節)  

*ピリピ人への手紙1章21節「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」

*コリント人への手紙第二5章15節「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」