Q&Aコーナー

Ⅱ、『人生について』

Q4.「この世には、なぜ苦難があるのですか?」

Q4.まず第一に、聖書は、すべての苦難が罪の結果なのだと教えています(創世記3章16-19節)。それは直接に一人の人がある罪を犯したために、その報いとしてその苦しみを持ったというのではありません。今人類に苦しみが臨んでいるのは、人類が罪に陥ったからだということです。ですから、そういう意味では、人類に苦しみは存在し続けますし、また同時に、罪から救われた時に、この苦しみから解放される望みがあるのだと言えます。苦しみとなるものは依然として残っていても、罪から救われた者にとっては、それはもはや苦しみとはならないのです。

 また、罪の直接の結果として起こる苦難あるいは刑罰というものがあります(ガラテヤ人への手紙6章7節、ローマ人への手紙6章23節)。しかし、苦難がいつでも罪の刑罰なのではありません。苦難が訓練という意味を持っている場合があります(ヘブル人への手紙12章11節)

 時として、私たちには理由がわからない苦難というものもあります。しかし、どんな苦難も、みな一つの目的を持っています。それは、「神のわざがこの人に現われるため」(ヨハネの福音書9章3節)なのです。私たちは傲慢な者で、すべてがうまくいっている時には、神様のことなどなかなか考えようとしないものです。そこで、私たちがそこにとどまって神様のことを考え、また自分がどのような者であるのかを考えるために、どうしてもそうした苦難が必要なことがあるのです。こうして、傲慢な私たちが神様を知るようになる契機として、苦難をなめるということがあるのです。

 さらに、イエス・キリスト様が示された代償的苦難があります(ペテロの手紙第一2章24節)。罪のない神の御子が、不当な十字架の苦難をお受けにならなかったなら、私たち人間の罪は赦されないのです。そこにこそ神様の愛があるのです(ヨハネの手紙第一4章10節)。  

*創世記3章16-19節「女にはこう仰せられた。『わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。』また、人に仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。』」

*ガラテヤ人への手紙6章7節「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」

*ローマ人への手紙6章23節「罪から来る報酬は死です。」

*ヘブル人への手紙12章11節「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安の義の実を結ばせます。」

*ペテロの手紙第一2章24節「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

*ヨハネの手紙第一4章10節「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」