Q&Aコーナー

Ⅲ、『救いについて』

Q4.「永遠のいのちとは何ですか?」

A4.聖書で、「いのち」という場合、それは神様の祝福を表し、「死」は、神様ののろいを表わしています。聖書の「いのち」と「死」ということばは、それぞれ三様の意味で使われています。第一は、肉体のいのちと死です。第二は、霊的いのちと死です。第三は、永遠のいのちと死です。第一は、説明を必要としないので、第二から説明します。イエス・キリスト様を信じていない人は、霊的に死んでいます(エペソ人への手紙2章1節)。それが、イエス様を信じることで、霊的いのちを与えられ(エペソ人への手紙2章6節)、生まれ変わらせられます。生まれ変わった者には、永遠のいのちが与えられるのです(ヨハネの福音書3章16節、6章47節)。それは永遠に神様から祝福を受け続けるということです。それに対して、霊的に死んだままでいる者は、永遠に神様ののろいを受け続けるのです。

 ですから、永遠のいのちというのは、今の肉体のままで永遠に生き続けるというのではありません。罪と弱さと欠陥を持ったままで、たとい永遠に生き続けたとしても、それは決して祝福とは言えないでしょう。本当の祝福は、まことの祝福の基であられる神様と共にあるということです。神様を離れて、祝福などありえないからです。永遠ののろいである永遠の死とは、神様から永遠に切り離されてしまうということです。現在はまだ、イエス様を信じない者の上にも、神様の恵みが及んでいますが、神様から永遠に切り離されるということが、どんなに恐ろしいものであるかということは、本当には、その人々にはわからないでしょう。ただ永遠のいのちの祝福を受けている者だけには、よくわかることなのです。しかし、神様から切り離されることの恐ろしさは、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んでくださったイエス様の御姿を見る時、特に「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイの福音書27章46節)という、あの底知れぬさばきの奈落を知るなら、その恐ろしさをかいま見ることができるでしょう。

*エペソ人への手紙2章1節「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」

*エペソ人への手紙2章5-6節「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらされ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」

*ヨハネの福音書3章16節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

*ヨハネの福音書6章47節「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。」