Q&Aコーナー

Ⅲ、『救いについて』

Q5.「聖書が教えている救いとは、どのようなことを言うのでしょうか?」

A5.「救い」という言葉は、この世では、貧乏や困難な状況からの解放とか、水におぼれかかっているところを救出される、というような場合に用います。この世の多くの宗教と呼ばれるものが教える救いも、これと大同小異で、貧困や病気などからの解放を意味します。高級な宗教にしても、せいぜい心の平安とか、安心立命の境地に入ることを指しているにすぎません。

 しかし、聖書が教えている救いは、これらのものとは全く異なったものです。あらゆる不幸とか悲惨なことと考えられているものの、根本的な原因である人間の罪(ローマ人への手紙3章10-12節、5章12節)と、その結果であるいっさいのもの(この世における不幸、悲惨、その極限としての死、および最後の審判)からの解放であり、救出なのです(創世記3章16-19節、ローマ6章20-23節)

 もちろん、いっさいの罪が赦され、罪から解放されるのですから、当然、心の平安という最初の結果がもたらされますが(ヨハネの福音書14章27節)、それだけではないのです。人間としての人生の本当の生きがいと使命が与えられ、どんな困難や苦しみの中にあっても、生きることに喜びを持つことができるのです。そして、人生の目的と目標がはっきりわかり、この世のあらゆることにおいて、神様を中心にした生活や、社会を建設しようとせずにはいられなくなるものなのです。

*ローマ人への手紙3章10-12節「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。義を行う人はいない。ひとりもにない。」

*ローマ人への手紙5章12節「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」

*創世記3章16-19節「女にはこう仰せられた。『わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。』また、人に仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさえ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。』」

*ローマ人への手紙6章20-23節「罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらの行き着く所は死です。しかし今は、つみから解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

*ヨハネの福音書14章27節「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」