Q&Aコーナー

Ⅲ、『救いについて』

Q7.「キリストをただ信じるだけで救われると教えられたのですが、それでいいのでしょうか?」

A7.多くの人は、イエス・キリスト様をただ信じるだけで救われるという教えが、あまりにもやさしすぎるので、それだけでいいのだろうかと疑います。もっと難行苦行をするとか、もっと善い人間になるとか、少なくとも自分の良心が満足するするような償いをしたいと考えるのが、私たちの自然な情でありましょう。

 しかし、私たちは、自分の救いのために、何かができるのでしょうか。私たちが救われなければならない姿を、聖書では罪人と呼んでいます。罪人とは、自分の力では罪を償えない、自分を罪から救うことのできない者、つまり、霊的破産者ということです。そのような者が、どうして自分を救うことができるでしょうか。霊的破産者とはまた、罪の泥沼に落ち込んでしまった人という意味でもあります。泥沼に落ち込んでしまった人は、どうして自分の力で、自分を救い出すことができるでしょうか。普通の泥沼なら、少し手を貸してもらえば、後は自分力でも何とか助かるかもしれません。しかし、罪の泥沼はそうはいきません。神様がいくらか助けてくだされば、後は自分の力で救われる、というわけにはいかないのです。ですから、霊的破産者と言われるのです。

 私たちは、自分のどのような努力も、救いには何の役にも立たないことを知らなければなりません。救いに必要なものは、イエス・キリスト様が十字架の上で成し遂げてくださった救いのわざだけであるということも知らなければなりません。ですから、イエス様の救いを受け入れること、つまり、信じることだけでいよいのです。(エペソ人への手紙2章8-10節)

*エペソ人への手紙2章8-10節「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」