Q&Aコーナー

Ⅳ、『信仰について』

Q4.「信仰に入ると、何か窮屈で、自由が束縛されるように思えるのですが。」

A4.信仰に入ると、自由がなくなるという考え方の根本は、自由についての間違った考え方があります。それは実のところ、自由ではなく自分勝手ということではないでしょうか。したい放題のことをすることが、本当の自由な生活と言えるでしょうか。確かに信仰に入ると、したい放題のこと、自分勝手なことができなくなってしまいます。しかし、だからと言って、生活が窮屈になるのではありません。本当に自由であるとは、悪に対してでなく、善に対して自由なのです。したい放題のことをする自由というのは、他人が少しぐらい迷惑しようが、あまり感心しないことであろうが、自分がしたいことを勝手にするということにすぎないのです。はたして、それが本当の自由なのでしょうか。本当の自由は、善いことをする自由、つまり良心の自由であるはずです。本能の奴隷、欲望の奴隷になっている姿は、決して自由な者の姿ではありません。そのような意味で、信仰に入ることは、決して不自由になることではなく、良心の自由を得ることです。

 信仰に入ると窮屈になると考えている人は、信仰には何か、戒律があると思っているようです。しかし、聖書の教える信仰には、そのようなものはありません。信仰に入った人が、きよく正しい生活をするのは、戒律に縛られてそうするのではなく、信仰の実として、そのような生活を自然にしていくのです。それは、心から喜んでするので、窮屈であるどころか、むしろ自由です。神様の救いの福音の真理を信じる人は、誰でも、本当の自由が与えらるのです。それは、良心の自由、人格の自由、霊の自由と呼ぶことができるでしょう。(ヨハネの福音書8章31-32節)

*ヨハネの福音書8章31-32節「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」