Q&Aコーナー

Ⅵ、『その他』

Q4.「キリスト教会では、戦争や平和の問題は、どのように考えるのですか?」

A4.神様は秩序の神であり、平和の神です。しかし、聖書が教える平和とは、けんかや争いさえなければそれでよいというような程度のものではありません。聖書はまず、神様との間の平和について教えています。神様との間に平和が与えられるのは、イエス・キリスト様の十字架による救いによるのです(ローマ人への手紙5章1節)。その平和なしには、あとの平和はすべて偽物であり、一時的に戦争のない 状態というようなものにすぎません。しかし、人と神様との間の平和が与えられたら、それでおしまいではなく、さらに人と人との間の平和が生み出されるようになるのです。

 しかし、聖書でイエス様は「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです」(マタイに福音書10章34節)と言われました。イエス様が争いや戦争を好まれるという意味ではありません。イエス様を信じる時、それまで何事もなかった家庭に、波風が立つというようなことが起こるというのです。それではイエス様は、一家に波風を起こすために来られたのかというと、そうではありません。今まで平穏無事に思われた家庭は、本当に平穏無事であったのではありません。何かあれば簡単にひっくり返ってしまうようなものでしかなかったのです。それゆえにイエス様は、本当の平安や幸福を教えるために、一時的に、今までの見せかけの平和をひっくり返されるのです。

 このように、イエス様は、真の深みにおいて一致のない見せかけの平和を憎まれます。そして、そのような偽物の平和ではなく、決してくつがえされることのない平和を持たせてくださいます(ヨハネの福音書14章27節)。ですから、イエス様のことを「平和の君」(イザヤ書9章6節)と呼ぶのです。

*ローマ人への手紙5章1節「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」

*ヨハネの福音書14章27節「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」