聖書のメッセージ

9月のメッセージ(Ⅲ)

『価値ある捜しもの』

 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

                (ルカの福音書19章10節)

 夏の暑さも少し一段落する頃ですね。この夏、どこか旅行に出かけた方も多いことでしょう。ところで、旅先で貴重品をなくしてしまったという経験はありませんか。そんな時、もしそれが本当に大事なものであれば、見つかるまで徹底的に捜し出すことでしょう。聖書の中にもこんな話があります。ある女の人が、コレクションとして価値のある一組の銀貨十枚を持っていました。ところがそのうちの一枚をなくしてしまいました。彼女は家中をくまなく、見つかるまで念入りに捜しました。そして見つかると、友だちや近所の人たちを呼び集めて、ともに見つかった喜びを分かち合ったというのです。この話は、創造主である神様と罪人である人間のことをたとえています。創造主である神様は、人間をご自身の愛の対象として、最も高価な宝物のような存在として造られました。しかし人間は、神様に背き、罪を犯して神様のもとから離れて生きるものとなってしまったのです。それは神様からの真のいのちを失った、滅びゆく失われた状態なのです。しかし、神様は、そのような人間を捜して救うために、イエス・キリスト様をこの世に遣わされました。そして、人間の罪をその身に負い、身代わりの刑罰を十字架の上で受け死なれ、三日目によみがえられました。そのイエス・キリスト様を救い主と信じ受け入れる者の罪は赦され、永遠のいのちが与えられ、神様と共に生きる者となるのです。それが正に、神様ご自身の喜びであり、私たちの喜びでもあるのです。